Thursday, January 13, 2011

そういう食事の文化が受けられん

久々のポストだけど、韓国の食事の文化について話したいと思います。

ここの人にとってはいつものものだけど、僕は納得出来ないわ。
食事のとき、目の前に置いてもらった食べ物なって、一切触れずに残して帰ったこと。

肉でさえも野菜のさえも、食べ物は以前生き物として考えられるだろう。
その生き物を、誰かがその命と取り、殺したり・・・
その料理者を、その生き物を料理に準備したり、作ったり、飾ったり・・・

でも食事者はその料理を食べる「義務」とか一切感じてない、一切触れてない、
その料理をどうやって貰ったその「過程」、頭の中に一瞬でも考えなかっただろう?

僕たち人間、どうしてこの地球で「一番生き物」として存在する権利が持つのだろう。
その権利を持ち、他の「下のもの」を狩り、育み、命を取り・・・
その生き物の命を与えるか取る権利を持つ僕らは、その生き物たちの「神」と成る存在なのかな?

その権利を取ってる罪ゆえに、僕らはその生き物たちの「犠牲」にとって、無視や日常生活や文化の違いとしてするだろうか?

僕は出来ない。
僕は前に置いた食べ物を、食べるぐらいの「尊敬」をあげることしかできない。

この国(他の国でも)、そういう食事文化として、僕は沢山不満を持つ。
毎日の毎日の置いて触れられずキムチ、野菜とか、全部ゴミとして整理するだろう。

その命たちは、無意味で命が奪われた。
その命たちは、無意味で何の役も立てず、ゴミになっちまった。

そこで、僕ら人間は「一番生き物」としてこの星で存在してる。
神あれば、止めてくれるだろう?
神あれば、こんなこと無視しないだろう?
神あるだろう?

そういう食事文化、そういう国、僕は人間同人として、「恥じ」しか言えない。

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